2010年代
2019年、大久保 統が代表取締役(四代目)に就任
壜工場には全自動箱詰め機、バルク化機器、自動検査機等の高速自動機械を導入。船橋工場には全自動全面ホットスタンプ転写機、パッキン装着機等を自動化し、積極的に導入した。同時に、ガラスびん容器以外の他素材容器の開発・販売にも挑戦し続け、幅広いお客様のニーズに対応している。
1980年代
大久保 保が代表取締役(三代目)に就任
既存のLBマシンからISマシンを新規導入し自動化を推進。炉修による溶解炉の拡張工事により、生産量がさらに飛躍的に向上。同時に、これまでの販売拠点の大阪・名古屋地区に加え、滋賀・富山地区にも拠点を加え、国内販路を拡大した。そして1987年、大久保 實の後継として大久保 保が三代目代表取締役に就任した。
2000年代
樹脂製品の製造開始
2001年にこれまでのガラス容器の製造販売に加え、樹脂製品の自社製造を開始した。2006年には本格的に新工場を建設し、当初は壜容器に関連する樹脂キャップを主に生産したが、徐々に製品種類を拡大。同年にはISO9001規格の認証を取得した。
ガラスとプラスチックの製品一体化を推進している。
1960~70年代
一貫全自動製壜工場完成
1958年に完全自動化に向けて自動製壜機(LBマシン)を導入し、製造の一部を自動化すると共に、1966年にはそれまで人間による全数目視検査から、中小同業各社に先駆けて自動製品検査機を導入に着手した。当時、小壜栄養ドリンク剤の爆発的な売行きもあり、生産量・販売量は飛躍的に増加した。
1947年(昭和22年)
大久保 實が代表取締役(二代目)に就任し、株式会社に改組(資本金50万円)
終戦後間もなく、鉄蔵の長男(八人兄妹)の大久保 實が20歳の若さで代表取締役に就任。職人であった鉄蔵に代わり、新しい時代に合った経営知識を導入し、やがて人力から自動製壜機械を導入して新工場を立ち上げた。一方、製品の販売についても、当時としては斬新な問屋経由から直販方式に切り替えた。ここに、株式会社大久保製壜所が誕生した。
1934年(昭和9年)
大久保鉄蔵により創業
大久保 鉄蔵により創業。ガラス製造の本場大阪で修業を積んだ後、下町の貸工場を転々とし、当時の東京府向島吾嬬町(現:中居堀)松島炭団屋の住居付き工場を借りる。鉄蔵・妻ミネ、ミネの義弟土志田 末吉の三名で会社を立ち上げる。鉄蔵は地域のガラス職人たちの中では、腕の良い吹き職人・あっぱく職人として慕われていた。